死刑について

いつも通り俺様理論が展開されますので読む価値はありません。

殺人による死刑に値する犯罪が行われたことを想定する。

◇社会契約と手段としての死刑
社会契約は契約当事者の保存を目的とする。目的のための手段として、他人の犠牲において自らの生命の保存をしようとするかわりに、必要な場合には自らの生命の犠牲により他人の生命を保存しなければならない。各人の合意によって設立された国家の統治者が「お前が死んだほうが国家のためだ」と言ったとき、彼は死ななければならない(ほんまか?)。
・合意は、自分が殺されないために、自分が殺したときには死刑になることを承認するというものである。
・「社会的権利を侵害する悪人は、すべて、その犯罪のゆえに、祖国への反逆者、裏切り者となるのだ。彼は、法を犯すことによって、祖国の一員であることをやめ、さらに祖国にたいして戦争をすることにさえなる。だから、国家の保存と彼の保存とは、両立し得ないものとなる。」
「そして、罪人を殺すのは、市民としてよりも、むしろ敵としてだ。彼を裁判すること、および判決をくだすことは、彼が社会契約を破ったということ、従って、彼がもはや国家の一員ではないことの証明および宣告なのだ」
結果殺されるか、追放されることになる。
・処刑は主権者に属するのではなく、授けることはできるが彼自ら行使できる権利ではないとされる(←よくわからん)。
<参考・引用:ルソー著、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』岩波文庫、1954年 pp.54-55>

・自己の生命の保存のために死刑は正当化できるか(≒特別予防)
凶悪犯罪者が一般市民と完全に隔離することができるならば(一般社会で再び犯罪を犯す可能性がないのならば)、正当化できない可能性がある。
・被害者の救済の仕方は不明

(※こっからもっとトンデモになります。戻るボタンでお戻りください)

◇現代的な手段としての死刑とその目的
上述と同じことを意味しているように思われるが、ここでは現代的・現実的な意味で用いる。また、更正や再教育、謝罪や反省の念の自覚といった刑罰の一般的な役割には触れない。
ⅰ仇討ち防止
ⅱ一般予防
ⅲ特別予防
ⅳ犯罪と刑罰の均衡

ⅴ被害者の感情の顧慮
ⅵ被害者遺族の感情の顧慮
ⅶ社会通念上の要請の達成

ⅰ 国家権力の刑罰権独占
国家の要請。市民から刑罰権を取り上げ、国家のみが刑事裁判を行い刑の執行者となる。立憲民主主義国家の前提とされ、市民個人の報復権や処罰権の行使は認めず、それらを防ぐ。そもそも本当にそれでいいのかというのは置いておく。
ⅱ 刑罰の威嚇効果
刑罰には、見せしめによって一般市民による類似犯罪を未然に防止できる効力があるという考え方である。
加害者が犯行するにあたって、「この行為に及んだら、死刑になる」というように考えるのは稀だろう。たとえそれがそのとき、避けることができる行為であったとしても、あるいは自分でもその行為の理由がよく分からなかったとしても、自らの行為の自由なひとつの選択に過ぎなかったことにかわりはない。
悪質な犯罪者が、その瞬間に刑罰の軽重を考慮し、そのことによって彼の行為を加減したりするだろうか。私は彼らが押並べて精神に支障を来たしているという偏見を抱いているので(※一般的な(?)殺人は想定しない)、それらが彼らの行為の際になされる余地はないと考えている。そして、一般市民(ここでは日本国民を想定)については死刑の威嚇効果なぞなくともそのような凶悪な罪を犯さないとも考える。
ⅲ 再犯の防止
上述
ⅳ 応報理論
どう足掻いても均衡しない。加害者に対して如何なる残酷な刑を科そうが彼の犯した罪に及ばない。それは、人を殺すこと―人が人に犯しうる最大の権利侵害―がいかに特殊であるかを示す。加害者に被害者の人生をそのまま償わせることはできず、被害者の死ぬほどの苦痛と恐怖とは加害者への再現可能のものではない。社会に対する影響をも加味すれば、3重の罪を背負うと仮定される。
ただし、対等な命としての償いは想定できる。つまり、加害者の命を1、被害者の命を-1(-α)と極端に抽象化して仮定すれば、それらを相殺できるというものである。加害者も結局死ぬわけだから-1+(-1)と考えて-2になるともいえなくともない(大抵いわない)。この数字化の想定は直観に反する場合が多かろう。また、複数殺人の場合では相殺が成り立たなくなる。
もっとも、応報の考え方そのものは、我々の正義に対する直観にある程度合致することは言うまでもない。さもなければこれほど影響力がある理由を説明できないだろう。

ⅴ 被害者について
我々が最も尊重しなければならないものは被害者の名誉である。現行の死刑制度がそれに適っているといえるかは不明である。
(名誉 ③道徳的尊厳、すなわち人格の高さに対する自覚。また、道徳的尊厳が、他人に承認・尊敬・賞賛せられること。 広辞苑より引用)
ⅵ 遺族について
被害者遺族の感情は、被害者の次に考慮されるものだと思う。ただし、その間には天と地ほどの差がある。
死刑が被害者遺族の感情を和らげることはあるが、それが第一義的なものになってはならないと考える。
ⅶ 社会通念
一般的に遺族のそれと同程度。これは優先順位ではなくどちらがより認識されやすいかの問題に過ぎない。「社会通念に照らして…」というような判決文にみられる文言の意味内容は無視する。
イギリスの王立死刑問題委員会で、デニング卿が
「重罪に対する刑罰は、それに対して市民の大多数が感じる激しい反応を適切に反映すべきである。刑罰の目的は、抑止的あるいは改善的あるいは予防的なもの以外にないと考えるのは誤りである。いかなる刑罰であれ、それを正当化する究極の根拠は、刑罰が犯罪を抑止することにあるのではなく、刑罰が犯罪に対する社会の強い非難であることにある。」
と述べた。半分は賛成で、半分は反対する。市民の感情は移ろい易く扇動され易い。死刑の正当化を社会通念に多く求めるのは適切ではない。
法律は良心を体系化し、その範囲においては道徳的権威を有するが、良心は誤りうるものであるし、法律も正しさを保証できるとは限らない。法律の中に或る道徳的判断が保持されていても、それは今なお社会で一般的に支持されていることにはならない。時代の道徳観に合致しない法律は、しばしば廃止によってではなく、無実効性のゆえにその効力を失った。したがって、一般の意見の一致するところのみが国家公共の道徳秩序にゆだねられざるを得ない。
ここでいう一般の意見は一般意思に近く解釈される。世論が法律を形成するという見解もあるが、現在においてこれがあてはまるわけではなく、また世論が道徳的観念・良心の構成や発現であるとは必ずしもいえないのは多分に認められるところであるからだ。世論(多数者)の意見が誤謬に満ちている可能性があることを我々は知っている。
従って国民感情が道徳の正しさの証明乃至表明でない限りそれを優先するいわれはない。それを判定するには、普遍性や変更不可能性を考慮せねばならず、本当にそれが存在すると考えるのはあまりに理想主義に傾く。

◇私見
応報理論は適切ではない。殺人の多くは死をもってしても償いきれない行為であると考えるためである。
被害者の顧慮が最優先になされねばならない。死刑が各人の合意に基づいた、また彼らの処罰権を国家に授けた状態であるとはいえ、肝心の処罰権が発動されるのは個人の権利が侵害されたときである。従って被害者の名誉の回復が第一義的に顧慮されるべきである。
・名誉の回復のために
名誉の回復は加害者が死ぬことではまず足りない。ただしこれは死刑を廃止する意図を有するものではない。死刑が彼の個人的責任によって惹起されるのならば、その責任には被害者の人生の回復義務をも含まれると考える。それには彼の生前の稼得能力に限らず、為し得たであろうすべての社会的利益の実現を含む(拡大解釈すれば地雷除去さえ含まれることになる)。
現実的に社会でそれらを行わせるのは多くの場合不可能なため、その評価は一定の行為の要求と金銭的価値に換算するのが仕方なくも妥当と考えられ、それらは彼自身の行為によってすべて創出されなければならない。加害者の行為によって断念せられた被害者のすべての行為を加害者の一身に基づき負担させることを想定するからである。その際に彼の身体的権利が一定程度制限されること(強制労働・臓器売買など)は当然に許容される。彼がそれらを果たすまでに死んでもよいかは不明。
月並みな言葉だが死刑は被害者に対する償いにはならない。命と命とでは対等であるが、被害者の人生を絶つことと加害者の人生を絶つこととの間には大きな隔たりがあることに、ほぼ全ての人間が同意するだろう。死刑は遺族や社会に対して憤怒を鎮静化させ平穏をもたらす効果はあるが、それは中心的なものではなく、また、被害者の名誉の回復が死刑で達成される、乃至その手段として死刑は最も合理的だと短絡的に考えられてはならない。
大衆が死刑を望むのを三段論法では、
1 Aは凶悪な殺人を犯した
2 凶悪な殺人を犯した者は死刑に処される
3 Aは死刑に処される
と表現できる(あってんのかこれ)。この際に欠如するのは被害者の顧慮である。大衆がそれを無視する―つまり彼らが彼ら自身の感情のみに基づいて死刑を主張する―のと同時に死刑もまたそれを無視している。加害者が殺されるのは事件に「終止符」が打たれたことを意味することもある。
再びいうが、加害者への憎悪や社会不安といった国民感情が死刑を根本から正当化するものではない。更に言えば、死刑による遺族の感情の慰撫ですら二義的なものに過ぎない。それらが死刑を正当化するのは不可能だと言っているわけではない。我々が絶大な怒りと憎しみを抱え表明し死刑を実現させたところで、被害者の名誉は決して回復するわけではなく、それどころか事件とその内容とを風化させる危険性さえ孕んでいる。
だからといって、私の頭に画期的な措置が思い浮かぶわけではない。現状に必要なのは、加害者が罪の償いをする際に、最も合理的で我々の直観に合致する処置は何であるかを再考することだ。
また、国家権力に掌握されている刑罰権の実現が、極めて秘密裏に行使されほとんどその実態を知られていないのは異常な事態である。死刑が如何なるものかをまず知る必要があるし、そうしないと正しい判断を下す経緯を確保することも難しい。
私の理想を言えば加害者が真に反省し謝罪しその罪を自ら償うようになるというものだが、これらを実現するのは我々自身にとって酷である。次に頭に浮かぶ言葉が強制労働その他になってしまうのだが、これが望ましいとも思えないのだ。

参考文献
<ステーバス 阿南成一訳『法と道徳 死刑・自殺・産児制限等をめぐって』理想社 1968年>

冤罪や刑務官のことを考慮すれば私は完全に死刑廃止に賛成するので書かなかった。警察の発表がマスメディアを通じてしか流れないという、ほんの一側面を想起するだけでも寒気がする。冤罪の可能性が実際に高かろうが低かろうが、我々にはそれらの考慮の機会すら与えられておらぬ。
また、死刑制度の存置廃止を論ずる(つまり死刑制度の本質を考える)際に、自殺や死亡事故を大きく考慮の対象とするのは重大な誤りであると考えている。

| 雑記 | CM 0│ 2009. 06. 08(Mon) 19: 16 |

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