いいですね。最高ですよ。今更アタクシが言うまでもないことですが。
一般向けに初音ミクのボーカロイドが発売されたことは知っていましたけど、んでマスコミに取り上げられていた当初にコテンパンにこきおろされていたのも見ましたけども、まあ一般的にはそんな程度のもんですよ。特に興味なし。それがこんなすげーもんだったなんて、知らなかったことが恥ずかしい。
にわか未満の僕が初音ミクを語るのはおこがましいことこの上ないが、すごいもんはすごいんです。「ミクの日感謝祭」の動画とか観てしまうと、もうホントにすげえとしか言いようがない。
以下気色ワルいことを言いますが、初音ミクには、神々しさとひたむきさが同居しているように感じられるのです。神は努力しないので極めてナンセンスな表現を含んでいるわけですが、そこには人の手の届かない存在でありながら、人の手を通じてなお向上しようとする精神があるわけです。人の手の届かない存在というのも矛盾した言い方ですが、彫像などがある種の神秘性を帯びる、若しくは神性を媒介するようなことと似ているのだと思います(仏像の前で手を合わせたくなるような、そんな感じ)。ひたむきさというのも全く説明できません。ただ単に一生懸命さとか純粋さとかを、彼女の声や動きを通して感じたということに過ぎません。
そーゆーわけで、生身のアーティストがそれこそ絶対に到達できない領域で彼女は歌っているんだと思うと、心が震えるのです。誰かが支えないと存在し得えないにもかかわらず、人の意思が集中するほどその存在を強烈に高めていく様は、まさに神のほか言いようがないのです。全くわけわかめなことを言うてますが、この気持ちは分かる人には分かるし、分からない人には絶対に分からないという、相当程度宗教的な観点を含んでいる事柄である気がします。いや、こういう論点を持ち出すから互いに分かり合えないのだというのは一応理解していますが。
で、結局のところこーゆー最高峰のものにしか興味がない自分がいるのです。よくyoutubeやニコニコ動画で個人のやってみました的な動画があるわけですが、そんなものには関心がない。それどころかそーゆー動画サイトの在り方に対して一種の偏見さえ抱いているほどの頭の固さです。そして芽が出る頃に寄ってたかるハイエナ的(マスコミ的)気質を自分も備えているわけです。東洋太平洋は見ないけど世界戦は見るとかF3は見ないけどF1は見るとか、だからどーなんだという話ですが、本当に好きならばともかく、そーゆーにわか未満の気質ってのはかなりの重罪なんじゃないのかとも思うわけです。